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「すると、何ですか、十年契約といふやうなことにでもなすつたんですか」
「いや、危険はまづない見込だ。だが、何と云つたらいゝか――」
「いゝよ、君。帰りたまへ、その方がいゝんだから」
この分では永くなりさうだと思つて、房一が腰を浮かし気味にすると、
彼はもう少しで最も善い友人に向ふやうに考へごとを打ち明けるところだつた。
――もともと、練吉は房一から対診を頼まれたことさへ少からず意外だつた。これが若し、自分の場合だつたら、それは弱味を見せるといふことだつた。彼はまだ、房一に対診を頼むやうなことはつひぞ考へたことはなかつたし、これから先だつてそんなことを考へつきはしないだらうと云ふより、練吉には漠然と、房一を自分と同じ医者だと見る気にはいまだになれなかつたのである。
「どうもこれぢや――」
「あれは本当ですかね、相沢さんが訴訟を起したと云ふのは?」
房一は笑つていた。
「よく来てくれましたな。けふはゆつくりしてもかまはんのでせう。あんたは碁を打ちますか。――さうですか、御存知ないですか。それはちよつと。まア、しかし、こんなものは覚えん方がいゝかもしれませんなあ」
「はア」
「御病人はどちらで?」
診察室に出てみると、三十歳前後の一見して重症の貧血だと判る農夫が待つていた。房一にはその男が近在のどこの部落の者だか心覚えがなかつた。開業してから七八人目の患者だつたが、これまでのは町内の者が半ばお義理から、半ば好奇心から房一の診察をうけに来たのにすぎないので、この男のやうに見覚えがなく又相当重症の患者にぶつかるのは今がはじめてだつた。