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両隣りに挨拶するのも、土産ものを贈るのも、ここに長く滞在すると思えばこそで、一泊や二泊で立去ると思えば、たがいに面倒な挨拶もしないわけである。こんな挨拶や交際は、一面からいえば面倒に相違ないが、またその代りに、浴客同士のあいだに一種の親しみを生じて、風呂場で出逢っても、廊下で出逢っても、互いに打解けて挨拶をする。病人などに対しては容体をきく。要するに、一つ宿に滞在する客はみな友達であるという風で、なんとなく安らかな心持で昼夜を送ることが出来る。こうした湯治場気分は今日は求め得られない。
「つい今日まで挨拶にも行かずじまひになつてね、どうも済まなかつた」
今泉にはやつと徳次の考へていることが判つたので、熱心に説明した。
「どこの訴訟だ。なに鍵屋、うん、相沢か」
「はあ、なるほど」
紛まがふことなく、それは神原喜作だつた。
「よし、それでは預つとかう」
さう答へながら、房一はふいに、競馬場で会つた相沢のことを、そのとき彼が何だか意味ありげに云ひのこして去つた言葉を思ひ出した。
「どうもこれぢや――」
「うん、何かア」
これが若し他人だつたら、或ひはかけがへのない一人息子でなかつたら、正文もいさぎよく結着をつけてしまつたらう。「道楽息子」――その一言で済むわけだつた。
「鬼倉ちふのはきさまかと云ふんだよ。あんまり、この近所の者をいためてもらひますまい」
答へながら、他人ごとのやうにずばずば何でも話してしまふ喜作の飾り気のなさに、驚いていた。